このページでは、なかの接骨鍼灸院院長の中野直彦がO脚矯正に取り組むことになったきっかけや、O脚改善にかける想いなどをインタビュー形式でお届けいたします。
Q. はじめに経歴を教えてください
A. はい。
昭和40年に、大阪市天王寺区勝山に生まれました。
地元の聖和小学校、天王寺中学校、そして上宮高校、近畿大学を卒業しました。
Q. どのような少年時代をお過ごしでしたか?
A. よく先生には怒られましたが、特にグレることなく、どちらかというとまじめな子供でした。
小学生時代はとにかく外で遊ぶのが好きで、学校から帰ったら親に見つからないように遊びに行ってました(笑)
スポーツは、野球、テニス、バレーボールなどをかじりましたが、丸刈りが嫌でちゃんとしたクラブには入らなかったため、『特技』とは呼べないレベルのお粗末なものです(汗)
Q. 治療家になろうと思ったきっかけを教えてください
A. 父は牛乳販売業をしていたのですが、子供の頃は医者になりたかったそうなんです。 でも、貧乏で夢が叶わなかったそうです。
それで、私が小さい時は兄に毎晩「医者になれ」と言ってましたね。
兄はそれもあって医者になったのですが、「ちょっと言い過ぎた」という反省からか、私にはあまり言わなかったんです(笑)
それで、大して勉強せず普通に文系の大学に行ったのですが、そのまま就職というのも何かピンとこなくて。
兄のようにうるさくは言われなかったのですが、「人のためになる仕事につけ」とは父から言われていて、兄の影響もあり大学2年生の時に治療家の道に進もうと決意しました。
Q. O脚矯正を始められたきっかけは?
A. 私は東京にあるフィットバランス療術学院で整体を学んだのですが、約600人の卒業生のうち学院の実技講師を含む20数人だけが持つ『美手(ヴィッシュ)セラピストAA(ツーエー)』の資格を持っているんです。
その『美手(ヴィッシュ)セラピストAA(ツーエー)』だけに伝授されるO脚矯正法があって、そのO脚矯正法を元に、私が学んだいろいろな手技を加えて完成させたのが、現在当院で行っている O脚矯正法なんです。
もともと治療をメインにしていたので、初めはO脚矯正に前向きではなかったのですよ。
でも、ある時たまたまO脚の患者さんがおられて、「O脚矯正を学んだので、試しにO脚矯正しませんか?」って話になったんですね。
いわゆる、練習台ってやつです(笑)
ところがO脚矯正をしたところ、中学生くらいから気になっていたO脚が、1回で劇的に良くなったんです。
その時の患者さんの笑顔が、今まで見た事がない『心の底からの笑顔』って感じだったんです。肩こりや腰痛が良くなった時とは違う、ホント今まで見たことのない笑顔。
肩こりや腰痛を良くする治療家は多いけど、O脚を解消する施術家はそれ程多くないので、「これは私がやらないと!」って思ったんです。
この事が、私がO脚矯正に取り組むようになったきっかけですね。
Q. 今後の目標は何ですか?
A. 施術所がある天王寺区とその隣の生野区から、「O脚で悩む人をゼロにしたい」というのが、当院の目標です。
でも実際は天王寺区と生野区の方は少なくて、大阪市以外や他府県からの方が多いんです。先日も静岡県から、わざわざ当院のO脚矯正を受けに来て下さいました。
かなり、ビックリしましたね。
「え!?静岡県??」って感じ(笑)
HPやブログは日本中どこでも見れる訳ですから、天王寺区・生野区などといわず、日本全国のO脚で悩む人の力になれれば、と思っています。
あ、ただし当院(大阪)に足を運んで下さる方限定でお願いします(笑)
学歴
昭和53年3月 | 大阪市立 聖和小学校卒業 |
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昭和56年3月 | 大阪市立 天王寺中学校卒業 |
昭和59年3月 | 上宮高校卒業 |
昭和63年3月 | 近畿大学商経学部経済学科卒業 |
平成 3年3月 | 行岡鍼灸専門学校卒業 |
平成 6年3月 | 行岡整復専門学校卒業 |
平成21年9月 | フィットバランス療術学院卒業 |
取得資格
平成 2年4月 | あん摩マッサージ指圧師免許 取得 |
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平成 3年4月 | はり師免許・きゅう師免許 取得 |
平成 6年4月 | 柔道整復師免許 取得 |
平成13年6月 | 介護支援専門員(ケアマネージャー) 資格 取得 |
平成21年9月 | 整体療術師・美手【ヴィッシュ】セラピストA 取得 |
平成22年12月 | 美手【ヴィッシュ】セラピストAA(ツーエー) 取得 |